江戸・明治の風格漂う本陣建築 国指定重要文化財
富士納豆製造所の商品は、星野家住宅敷地内に星野家に隣接したところで作られています。
国指定重要文化財 星野家住宅

星野家は、甲州街道・大月宿の西隣にある花咲宿の名主を務めていた旧家です。
下花咲宿の本陣であり、幕末には薬の商いも行っていたほか、農地解放前には25町歩ほどの田畑を所有し、養蚕では百貫ほどの収穫があったと伝えられています。
江戸時代には、甲州勤番をはじめ大名や幕府の役人らが宿泊しましたが、天保六年(1835)の火災で焼失し、その後、再建されました。
再建の年月を示す資料は未発見ですが、嘉永5年(1852)に記された家相図によると、間取りと規模が現在の母屋と一致しており、天保末からこの間にかけて再建されたと考えられています。
下花咲宿の本陣であり、幕末には薬の商いも行っていたほか、農地解放前には25町歩ほどの田畑を所有し、養蚕では百貫ほどの収穫があったと伝えられています。
江戸時代には、甲州勤番をはじめ大名や幕府の役人らが宿泊しましたが、天保六年(1835)の火災で焼失し、その後、再建されました。
再建の年月を示す資料は未発見ですが、嘉永5年(1852)に記された家相図によると、間取りと規模が現在の母屋と一致しており、天保末からこの間にかけて再建されたと考えられています。
現在の母屋は、焼失以前のものと比べると、規模は小さくなりましたが、間取りと部屋数は変えず、街道により近づけて建てられました。
明治13年(1880)6月18日には、明治天皇が京都へ御巡幸の際に御小休所にあてられました。
江戸時代から続く壮厳なたたずまいは、由緒ある歴史を今に伝えています。
星野家全景

星野家正面

大名用の玄関

土間の大戸口

大黒柱

瓔珞みがく

土間

上段の間

中の間

お雛様

打ち掛け 帯

大名用手洗い

間取り図
